生き甲斐は、日本だけのものではない。バリで、もう一度見つける

生き甲斐は、日本だけのものではない。バリで、もう一度見つける

「孤独死」という言葉を、この10年で何度耳にしただろうか。

日本ではこの言葉が、もはや特殊なケースではなく、社会全体が向き合うべき現実として語られるようになった。長寿国であることは誇りだ。けれど長く生きることと、その日々に意味があることは、同じではない。多くの人が定年後、こう自問する。「これから何十年、自分は何のために生きるのか」。

この問いに、私たち自身も向き合ってきた。ハビラの創業者は51歳のとき、同じ問いの前に立った。「趣味を持て」「畑仕事でも」——世の中の助言はどれも表面的で、本当の答えにはならなかった。そこから始まった3年間の探求が、今のハビラという場所につながっている。

生き甲斐という、すでに持っている答え

私たちが探求の末にたどり着いたのは、実は日本にすでにある考え方だった。生き甲斐 ——「毎朝、起きる理由」。好きなこと、得意なこと、世界が必要としていること、そして生活の糧になること。この4つが交わる場所に、本当の充実がある。

ハビラの哲学「The Havira Way」は、この生き甲斐の考え方と、バリ島に根づく調和の思想「トリ・ヒタ・カラナ」(人と人、人と自然、人と精神性の調和)を組み合わせて生まれた。単なる施設の設計思想ではない。「予定表が埋まっていること」と「人生が満たされていること」は違う——これが私たちの出発点にある確信だ。

「今日、誰かが気づいてくれるか」という問い

孤独死が恐ろしいのは、死そのものではない。誰にも気づかれないまま、何日も、何週間も過ぎてしまうという事実だ。それは「自分の不在に、気づく人がいない」という状態を意味している。

ハビラで大切にしているのは、まさにこの問いへの答えだ。毎日の食事をともにする隣人、朝の体操で顔を合わせる仲間、あなたの習慣を知っているスタッフ。誰かが「今日、あの人を見ていない」と気づく——それだけの、しかし決定的な違いを、暮らしの設計に組み込んでいる。

なぜバリなのか

日本の冬は、年々こたえるようになる。凍える朝、こわばる関節、日照時間の短さがもたらす気分の沈み——「歳のせい」の一言で片づけられがちだが、実際には、寒さが身体に強いる負担は決して小さくない。

バリには、その冬がない。一年を通じて気温は25度から30度前後。厚手のコートも、暖房費の心配も、寒さでこわばる朝もない。あるのは、素足で歩ける砂浜と、一年中降り注ぐ日差しだけだ。

そしてバリには、気候だけでなく「共同体が個人を支える」という感覚が根づいている——これはバリ島の伝統的な社会構造そのものだ。バンジャール(地域共同体)は、何世代にもわたって互いを支え合ってきた。日本の「向こう三軒両隣」の精神に、どこか通じるものがある。

生活費についても、東京や大阪での高齢者向け施設と比べ、バリでの暮らしは大きく抑えられる。24時間体制の医療サポート、快適で機能的な住居、豊かな自然——これらを、日本国内で同水準の環境を整えるよりもずっと現実的なコストで実現できる。

予定を埋めることと、人生を満たすこと

ハビラが目指しているのは、アクティビティで一日を埋め尽くすことではない。ヨガや体操のクラスがあることは大切だが、それだけでは本当の充実にはならない——これは私たちが3年間の研究の中で得た、譲れない洞察だ。

大切なのは、「今日という日に、意味がある」と感じられること。隣人と交わす何気ない会話。自分のペースで過ごせる自由。そして、何かあったときに、すぐそばに支えがあるという安心。この3つが揃って初めて、生き甲斐は日々の暮らしの中に根づく。

老いは確実に訪れる。目的を持って老いるかは、選択だ。

これは私たちのタグラインであり、同時に私たち自身への問いかけでもある。

ハビラは、ウルワトゥの美しい海岸から車でわずか4分、メラスティビーチを望む場所に位置している。ここでの暮らしは、「施設」ではなく「もう一つの故郷」であることを目指して設計されている。

生き甲斐という言葉を生んだ国から、その言葉を体現する暮らしを、私たちはバリで形にしたいと思っている。